ジャニー喜多川の経歴や生い立ちは?両親はどんな人?家系図がすごい!

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ジャニー喜多川さん死去 87歳

 

解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため先月18日から入院中だったジャニーズ事務所代表取締役社長のジャニー喜多川さんが、9日午後4時47分、87歳で亡くなった。

同事務所が書面を通じ発表した。

通夜・告別式についてはタレントたちとJr.のみで「家族葬」を行う。

後日、「これまでお世話になりました皆様にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます」としている。 

 

同事務所によると、ジャニーさんは先月18日の午前11時30分頃自宅で体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送された。搬送後は集中治療室で懸命な救命措置が行われた甲斐あって一般病棟に移り、タレントやJr.たちとの面会を果たすことができたという。 

 入院中は毎日、さまざまな楽曲の流れる病室で、タレントたちやJr.までがジャニーさんとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていったそう。仕事の合間を縫ってタレントたちが入れ替わり立ち替わり病室を訪れ、ジャニーさんの好物を皆で賑やかに食べることが日課に。ときに危険な状態に陥ったが、タレントたちが呼びかけ、危機を脱してきた。 

 タレントたちと過ごすことでジャニーさんの容態が一時的に回復するという奇跡的な出来事が繰り返されたことに、事務所は「改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました」とコメント。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、人生の幕を下ろした。 

 

 

 

 

 

ジャニー 喜多川 プロフィール

ジャニー きたがわ

ジャニー 喜多川

生誕ジョン・ヒロム・キタガワ
(John Hiromu Kitagawa)
漢字表記:
喜多川 擴(きたがわ ひろむ)

1931年10月23日(87歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス市
住居日本の旗 日本
民族大和民族
出身校ロサンゼルス・シティー・カレッジ (LACC)卒業
上智大学国際部(現・国際教養学部)卒業
職業実業家
芸能プロモーター
音楽プロデューサー
著名な実績ギネス世界記録
「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」
「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」
父:喜多川 諦道

 

ジャニーズ事務所だけでなく、ジェイ・ドリーム、ジャニーズ出版、ヤング・コミュニケーション、つづきスタジオの代表取締役を務めています。

とこぞう

とにかく超やり手ですね!

さらに、

  • 最も多くのコンサートをプロデュースした人物
  • 最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物

という項目でギネス記録を持っているスゴイ人でもあります。

ジャニー喜多川の出身地と出身校は?

  • 出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市
  • 出身大学:ロサンゼルス・シティー・カレッジ (LACC)、上智大学国際部(現・国際教養学部)

小学校と中学校は日本の学校へ、高校からはアメリカの学校へ通いました。

 

ジャニー喜多川はハーフ?

アメリカで生まれ育ったジャニー喜多川さん。

名前や出身地を見ても、当然ハーフと思いますよね!!

ジャニー喜多川さんは…両親ともに日本人の純日本人です。

ですが、本名は「ジョン・ヒロム・キタガワ」とされておりアメリカネームが入っています。

 

ジャニー喜多川の家系図がすごい!

ジャニー喜多川の家系図画像

ジャニー喜多川の家系図画像

 

政治家に音楽家に芸能人、実業家…すごい人ばかりですね。

 

ジャニー喜多川の生い立ち

生い立ち

父親は日本仏教・高野山真言宗米国別院の僧侶(第3代主監)で、1946年(昭和21年)2月から1948年(昭和23年)2月までプロ野球チーム「ゴールドスター(1947年に「金星スターズ」に改称)」のマネージャーだった喜多川諦道。

諦道の次男として、1931年(昭和6年)10月23日にアメリカ・ロサンゼルスに生まれる。姉はメリー喜多川、兄はNASAでアポロの設計もしていた科学者だったが1980年代に50代半ばで死去している。

1933年(昭和8年)、喜多川一家は日本へ渡航し、大阪市で生活した。

しかし間もなくして母親が死去、やがて第二次世界大戦が勃発すると子供たちだけで和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に疎開した。

日本の敗戦後、1947年(昭和22年)に子供たちだけでロサンゼルスに帰国し、現地の高校に入学した。

高校時代にはロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」にて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトを経験している。

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジに進学。

1950年(昭和25年)、美空ひばりが育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行ったが、ロサンゼルス公演の際、父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったため、ステージマネージメント全体を担当する。

川田の知遇を得ると共に、ひばりとも親しく交流するようになった。

このことが、日本芸能界への進出のきっかけとなる。

1952年(昭和27年)に再来日。

駐日アメリカ合衆国大使館に陸軍犯罪捜査局 (USACIDC, CID) の情報員(通訳の助手)として勤務する。

アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授するために、日本でわずか11ヶ月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供たちに英語を教授した。

さらに、再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事顧問団に勤務。

その傍ら上智大学国際部(現在の国際教養学部の前進)に進学し、上智大学を卒業。

大学在学中の1955年(昭和30年)、バンドを結成し芸能界へ参入した。

以降は日本に永住している。

引用元:wikipedia

 

ロサンゼルスで三兄弟が産まれる

世界一周へ旅立った諦道さんは、まずはアメリカへ向かいました。

ロサンゼルスにある「高野山真言宗 高野山米国別院」でしばらく過ごし、別の国を目指す予定でした。

しかし、当時の主監(院をまとめている人)が急遽帰国することとなってしまい、諦道さんが主監を勤めることに。

こうして予期せぬ流れで諦道さんは高野山真言宗米国別院の第3代主監となったのです。

アメリカ生活が長くなると判断した諦道さんは日本から栄子さんを呼び寄せました。

その後、二人の元に3人の子供が誕生しました。

  1. 長女:泰子(やすこ)1926年12月26日誕生
  2. 長男:真一(まさかず)?
  3. 次男:擴(ひろむ)1931年10月23日誕生

長女は現在のメリー喜多川さん、次男がジャニー喜多川さんです。

なお、長男の真一さんはNASAでアポロの設計もしていた科学者でしたが、1980年代に50代半ばで亡くなっています。

 

ジャニーズ事務所の設立

1960年代初頭、ジャニーは自分の居住していた東京都渋谷区・代々木の占領アメリカ軍宿舎「ワシントンハイツ」にて、近所の少年たち約30名で構成された少年野球チームのコーチを務めていた。

そのチーム名は、本人のニックネーム「ジャニー (Johnny)」からとって「ジャニーズ」と名付けられた。

このチームのメンバーには、浜田光夫・小畑やすし・設楽幸嗣等もおり、応援団には松島トモ子も居た。

このチームはプロ野球の球団や力道山等に支援されており、後に練習場も池袋にある立教大学のグラウンドへと移行した。

ある日、このチームのメンバーの中から渋谷区立代々木中学校の生徒4名を選抜し映画館に連れて行く。

そして、そこで鑑賞した映画『ウェストサイドストーリー』に一同感動し、エンターテインメント事業を興業することを決意した。

1962年(昭和37年)4月、自身が結成させた野球チームのメンバーである4名の少年により最初のグループであるジャニーズ(通称・初代ジャニーズ)を結成する。

最初は東京都豊島区・池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院(現: 名和プロダクション)」に在籍をしていたが、1962年(昭和37年)6月にジャニーズ事務所を創業、創業当初は渡辺プロダクションと業務提携し渡辺プロを窓口としていたが、1975年(昭和50年)1月、正式に株式会社として法人登記した。

姉のメリーは、1950年代から東京都新宿区・四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にあった「スポット」という名のカウンターバーを経営しており、バーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔と内縁関係となり、1972年(昭和47年)の藤島の離婚成立後に結婚した。

ジャニーがジャニーズ事務所を創業するとバーは廃業をし、事務所の経理を担当するようになった。

引用元:wikipedia

 

まとめ

ジャニー喜多川社長の生い立ちや家系図から、ハーフではなく純日本人であったことが分かりました。

波乱万丈な人生を送ってきたからこそ、唯一無二の世界観を作り上げることができるのかもしれませんね。

最近、緊急入院sれ死亡説まで流れていますが早期の回復をお祈りしています。

 

とこぞうでした。

 

 

 

 

 

 

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