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吉野彰氏ノーベル化学賞受賞!影響を受けたのは福井謙一氏と白川英樹氏!

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笑顔でノーベル賞受賞の会見をする吉野彰氏 ©AFLO

 

スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を、旭化成の吉野彰名誉フェロー(71)▽米テキサス大のジョン・グッドイナフ教授(97)▽米ニューヨーク州立大ビンガムトン校のスタンレー・ウィッチンガム教授――の3氏に授与すると発表した。

携帯電話やパソコンなどで充電して繰り返し使える「2次電池」として、世界中に普及しているリチウムイオン電池を開発したことが評価された。

受賞が決まった吉野氏は午後6時50分、東京都千代田区の旭化成本社で取材陣の前に現れ、「19年のノーベル化学賞をめでたく受賞しました」と興奮した表情で喜びを語った。

 旭化成の研究員だった吉野氏は1983年、未解決だった「負極」(マイナス極)の材料に、電気を通すプラスチックのポリアセチレン(00年ノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏が発見)を採用。

一定の電圧を保つことに成功した。その後改良して最終的には、負極に炭素材料を使うことで、現在のリチウムイオン電池の基本形を作り上げた。

91年以降、ソニーや旭化成で製品化された。

この電池は、プラスの電気を帯びたリチウムイオンが、充電時は正極から負極へ、放電時には負極から正極へ移動することによって機能する。

電圧は約4ボルトで、1・5ボルトのアルカリ乾電池の約2・7倍。

このため、さまざまな機器に使用が可能な上、小型で軽いためノートパソコンやスマートフォンなどのIT機器の普及に貢献し、「モバイル革命」の原動力となった。

近年は走行時の排ガスのない電気自動車にも搭載され、環境汚染防止の点からも注目されている。

引用元:毎日新聞

 

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吉野 彰は何をした人なの

何をした人なのかというと、リチウムイオン電池を開発した人である。電池といえば、ちょっと前まで一般の人が知る電池は、昔ながらの乾電池と鉛蓄電池(自動車用)、それに時計用の水銀電池ぐらいだった。

最近急に多くの人が使いはじめたのが、リチウムイオン電池(携帯電話もスマホもカメラもノートパソコンもその他もろもろの携帯電子機器のたぐいすべてがそうだ)。

 

 20世紀末から21世紀にかけて登場した世界の新しい文明の機器のほとんどが、リチウムイオン電池によって動かされている。

リチウムイオン電池は現在世界で年間10億個以上が生産・使用されている現代社会の基本的エネルギー源だ。

それはすでに自動車、航空機にまで入りこんでいる。その基本特許を持っているのは旭化成である。

 

吉野 彰プロフィール

  • 名前:吉野彰(よしの・あきら)
  • 生年月日:1948年1月30日
  • 年齢:71歳(2019年時点)
  • 出身地:大阪府吹田市
  • 趣味:テニス、ゴルフ
  • 職業:エンジニア、研究者、大阪大学博士(工学)、旭化成名誉フェロー
  • 信条:挑戦を恐れないこと

学歴

1970年3月京都大学工学部 石油化学科卒
1972年3月京都大学工学研究科 修士課程修了
2005年3月大阪大学 大学院工学研究科 博士(工学)取得

略歴

1972年4月旭化成(株)(旧旭化成工業(株))入社
1982年10月旭化成(株)川崎技術研究所
1992年3月旭化成(株)イオン二次電池事業推進部商品開発グループ長
1994年8月(株)エイ・ティーバッテリー技術開発担当部長
1997年4月旭化成(株)イオン二次電池事業グループ長
2001年5月旭化成(株)電池材料事業開発室 室長
2003年10月旭化成グループフェロー
2005年8月旭化成(株)吉野研究室 室長
2010年4月技術研究組合 リチウムイオン電池材料評価研究センター 理事長(現在)
2015年10月旭化成(株)顧問
九州大学 エネルギー基盤技術国際教育研究センター 客員教授
2017年7月名城大学 大学院理工学研究科 教授(現在)
2017年10月旭化成(株)名誉フェロー(現在)
2019年6月九州大学 グリーンテクノロジー研究教育センター 訪問教授

主な受賞など

1999年3月(社)日本化学会より平成10年度「化学技術賞」(リチウムイオン二次電池の開発の功績)
1999年10月米国Electrochemical Soc.より "1999 Technical Award of Battery Division"
(Pioneering work on lithium ion battery technologyの功績)
2001年4月(財)新技術開発財団(市村財団)より「市村産業賞功績賞」(リチウムイオン二次電池の開発と製品化の功績)
2001年10月(社)発明協会より「関東地方発明表彰文部科学大臣発明奨励賞」
2002年6月(社)発明協会より「全国発明表彰文部科学大臣発明賞」
2003年4月文部科学省より「文部科学大臣賞科学技術功労者」
2004年4月日本国政府より「紫綬褒章」
2011年11月財団法人材料科学技術振興財団より山﨑貞一賞
2011年11月公益財団法人NEC C&C財団よりC&C賞
2012年3月(社)日本化学会より「第5回日本化学会フェロー」
2012年6月米国IEEEより「IEEE MEDAL FOR ENVIRONMENTAL AND SAFETY TECHNOLOGIES」
2013年6月ロシアより「The Global Energy Prize」
2013年11月公益財団法人加藤科学振興会より加藤記念賞
2014年2月全米技術アカデミーより「The Charles Stark Draper Prize」
2014年10月(社)電気化学会より功績賞
2016年9月物質・材料機構より「NIMSアワード2016」
2018年4月(公財)国際科学技術財団より「Japan Prize(日本国際賞)」
2019年6月欧州特許庁より「欧州発明家賞」

リチウムイオン電池

リチウムイオン電池は今や私たちの生活に欠かせない ©iStock.com

現在使われている形のリチウムイオン電池の原型を開発したのが、吉野彰氏であり、その基本的仕組みも、基本的製造上のノウハウも、すべて特許にしてしまったので、旭化成は、かつては東芝と共同出資の会社を作って自ら電池を製造販売していたが、いまは電池に関してはもっぱらライセンス商売と基幹部品の製造販売で儲けている。

 

吉野彰氏に大きな影響を与えた2人とは?

吉野氏の話を歴史をさかのぼって聞いていくと、このリチウムイオン電池の根っ子には、日本の技術の粋、化学研究の伝統がドンとあることがわかってきた。

吉野氏は、福井謙一(1981年ノーベル化学賞受賞者)の孫弟子を自称している。

大学は福井が教授として教鞭を執っていた京都大学工学部石油化学科。

福井研に入って直接教えを受けたわけではないが、福井のフロンティア電子論の強い影響を受けて、あらゆる物質の結合や反応などをすべて分子の電子軌道の変化から考えていく、一種の考え方革命を起こした世代の中心人物。

 

 吉野氏に大きな影響を与えたもう1人が、2000年のノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏(ポリアセチレンという導電性高分子の発見者)。

アセチレンという有機化学の代表的分子に触媒を入れたら(実は研究員が白川の指示をまちがえて1000倍高い濃度の触媒を入れてしまった)、それがたちまち光り輝く金属光沢を持つフィルムになり、電気も通すようになったという驚異的現象の発見者である。

実は吉野氏は、このポリアセチレンに驚きこれを電池の陰極に使おうと考えるところから出発した。

しかし、電池にするには陰極だけでは足りない、陽極が必要だ。陽極には何がいいだろうと考えているときに、ある日アメリカの論文誌に発表されていた、オックスフォード大学のジョン・グッドイナフと、そこに留学していた水島公一氏の論文(コバルト酸リチウムが陽極になりうる)に出遭った。

これはいけそうだと直観して、実験をしてみると、なるほどピタリだった。長い話を短くしてしまうと、リチウムイオン電池は、このようにして、フィールドの違う学者たちが偶然に導かれて、出遭うところからはじまった。

引用元:週刊文春デジタル

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福井謙一氏

「福井謙一氏」の画像検索結果

 

福井謙一氏。化学者。1918年生まれ。京都帝国大卒。52年に「フロンティア軌道理論」を発表し、81年に「化学反応の理論的解明」でノーベル化学賞を受賞。京大教授、日本学術振興会会長などを務めた。98年死去(京都市)(1981年10月20日) 【時事通信社】

略歴

 

ノーベル化学賞記念碑(京都大学構内)

  • 1930年3月 大阪市玉出第二尋常小学校卒業
  • 1935年3月 旧制今宮中学校卒業
  • 1938年3月 旧制大阪高等学校卒業
  • 1941年3月 京都帝国大学工学部工業化学科卒業、同大学院入学。同時に短期将校として燃料研究所へ入所。
  • 1943年8月 京都帝国大学工学部燃料化学科講師(1966年 石油化学科に改組)
  • 1945年9月 京都帝国大学工学部燃料化学科助教授
  • 1948年6月 工学博士(「化学工業装置の温度分布に関する理論的研究」)
  • 1951年4月 京都大学工学部燃料化学科教授(高温化学講座)
  • 1965年1月 京都大学工学部燃料化学科教授(高圧化学講座 1966年より炭化水素物理化学講座に改称)
  • 1970年11月 京都大学評議員(1971年4月まで)[3]
  • 1971年4月 京都大学工学部長(1973年3月まで)[4]
  • 1982年4月 京都大学退官 京都大学名誉教授[5]
  • 1982年6月 京都工芸繊維大学学長(1988年5月まで)
  • 1988年6月 京都工芸繊維大学名誉教授、財団法人基礎化学研究所所長
  • 1990年2月 学術審議会会長
  • 1995年9月 日本学術振興会会長
  • 1998年1月 逝去 満79歳没

引用元:wikipedia

白川英樹氏

「白川英樹氏」の画像検索結果

 

略歴

 

2000年10月18日、総理大臣官邸にて文部大臣大島理森(左端)、内閣総理大臣森喜朗(右から2人目)、内閣官房長官中川秀直(右端)と

  • 1949年 - 高山市立南小学校卒業
  • 1952年 - 高山市立第二中学校(現・松倉中学校)卒業
  • 1955年 - 岐阜県立高山高等学校卒業
  • 1961年 - 東京工業大学理工学部化学工学科(現・工学部化学工学科)卒業
  • 1966年 - 同大学大学院理工学部研究科化学工学専攻科博士課程修了、同大学資源化学研究所(現・化学生命科学研究所)助手
  • 1976年 - ペンシルベニア大学博士研究員(- 1977年)
  • 1979年 - 筑波大学助教授
  • 1982年 - 同大学教授
  • 1991年 - 同大学大学院理工学研究科長(- 1993年3月)
  • 1994年 - 同大学第三学群長(- 1997年3月)
  • 2000年 - 同大学退官
  • 2001年 - 日本学士院会員、内閣府総合科学技術会議議員(-2003年3月)

引用元:wikipedia

 

まとめ

日本からのノーベル賞受賞は昨年の本庶佑(ほんじょたすく)・京都大特別教授に続き2年連続。

合計で27人(米国籍の2人を含む)となりましたね!(笑)

授賞式は12月10日にストックホルムであるそうです。

賞金900万スウェーデンクローナ(約9700万円)は3人で等分する予定だそうです。

日本人として誇りに思いますね!

吉野彰さん、本当におめでとうございました。(笑)

 

とこぞうでした。

 

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