「ショーケン」の愛称で親しまれた歌手・俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名萩原敬三〈はぎわら・けいぞう〉)さんが、26日午前、消化管間質腫瘍(しゅよう)のため東京都内の病院で死去した。
68歳だった。葬儀は親族だけで営まれた。故人の遺志で、お別れの会の予定はないという。
所属事務所によると、萩原さんは、悪性腫瘍の一種である消化管間質腫瘍で11年から闘病していたが、容体が急変した。
本人の強い希望で病名の公表を控えていたという。
萩原健一さん、死後翌日・異例に早い火葬をした理由
富田リカさんは夫の死の2日前に自身のブログを更新し、元気そうにバランスボールに乗る萩原さんとのツーショットを掲載して、《私たちはときどき一緒にジムに行くんです》との文面を添えた。
「この写真にはリカさんの願いが込められていました」と語るのは、リカさんを古くから知る芸能関係者だ。
「彼女がブログにアップしたのは、まだショーケンが元気だったころの写真。
実際には死の数日前の彼は、元気に動ける状態ではありませんでした。
リカさんは最期の瞬間まで周囲に“ショーケン健在”をアピールしつつ、夫の回復を祈っていました」
異例の“スピード火葬”
だが必死の願いは届かず、萩原さんは帰らぬ人となった。そして、死の翌日には家族だけで火葬と密葬が営まれた。
あまりの「スピード火葬」に、ある芸能事務所の幹部がため息交じりにつぶやく。
「ショーケンほどの大物芸能人なら、遺体と対面して直接お別れを言いたいという人はたくさんいます。
“火葬する前に一本連絡ぐらいほしかった”と残念がる関係者は少なくありませんでした。
なぜ遺族は火葬を急いだのか、ショーケンと親しかった人からは困惑の声が上がっています」
高齢化の進む現在、亡くなる人は増加の一途をたどり、首都圏の火葬場は常に混雑している。
大手葬儀社アーバンフューネスが約6700件の葬儀データを集計したところ、「死亡してから家族葬をするまでの平均日数」(2018年)は、都内の火葬場で約6日だった。
死の翌日に火葬を済ませた萩原さんはかなりのレアケースだ。萩原さんの兄は言葉少なにこう話す。
「葬儀をしたのは、以前(萩原さんが)住んでいた神奈川県の鶴見近辺です。自宅がある都内ではありません」
つまり、リカさんは愛する夫の葬儀場を求めて「越境」したことになる。
そこまで火葬を急いだ理由について、前出の芸能関係者は「すべてショーケンが望んだことです」と指摘する。
「ショーケンは暴れん坊の自分を変えてくれたリカさんに心から感謝しており、苦しい闘病生活も彼女の励ましで頑張ってこられた。
彼はよく“リカがいなければおれはとっくに死んでる”と言っていましたから。
そんな彼にとって、自分の死後に妻がトラブルに巻き込まれるのは何としても避けたかった。
実際、3人目の妻との離婚時には泥沼の慰謝料裁判があり、映画関係者とギャラでもめることも多かった。
彼の場合、金銭面や交友関係のもつれがどこに残っているか自分でもわからない。
トラブルを避けるため、リカさんに“死んだらすぐに葬ってほしい”と言い残していたんです」
あっという間にこの世からいなくなった萩原さん。それもまた、常に自由を求めた彼らしい最期かもしれない。
2019/04/04追記
引用元:女性セブン2019年4月18日号
萩原健一ってどんな人?
埼玉県生まれ。
67年、16歳でグループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてデビュー。
「神様お願い!」や「エメラルドの伝説」がヒットし、アイドル的な人気を集めた。
解散後は沢田研二さんや岸部一徳さん、故井上堯之さんらとロックバンド「PYG(ピッグ)」を結成。
日本のロックの黎明(れいめい)期を支えた。
萩原健一の代表作となるテレビドラマ、映画をご紹介します。
テレビドラマは『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』『祭ばやしが聞こえる』『琉球の風』『外科医柊又三郎』。
『八つ墓村』『影武者』『誘拐報道』『恋文』などが萩原健一の代表作です。
映画では72年の「約束」などに続き、74年に「青春の蹉跌(さてつ)」に主演する。
上昇志向の強いエリート大学生を冷徹に演じ、キネマ旬報男優賞を受けた。
神代辰巳監督とはこの後も「もどり川」「恋文」「離婚しない女」などでタッグを組んだ。
80年には黒澤明監督の「影武者」に出演、94年には「居酒屋ゆうれい」で主演を務めた。
結婚・離婚を繰り返す私生活や、大麻取締法違反容疑や映画出演料をめぐる恐喝未遂容疑で逮捕されるスキャンダルでも注目を集めた。
引用元:朝日新聞デジタル
萩原健一犯罪歴
1983年に大麻不法所持で逮捕。
懲役1年執行猶予3年の有罪判決となりました。
1984年、飲酒運転で人身事故を起こし
業務上過失傷害罪で逮捕。
1985年、女優倍賞美津子との2ショットを週刊誌に撮られ激昴し
カメラマンと編集者に暴行し書類送検されました。
2004年、交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕。
同じく2004年、出演映画の「透光の樹」のプロデューサーに恐喝未遂容疑で告訴され、2005年に逮捕されました。
この恐喝事件では懲役1年6ヶ月執行猶予3年の有罪判決を受けました。
離婚歴と現在の妻は?
萩原健一は2011年2月7日、モデルの冨田リカと結婚しました。
冨田リカとの結婚に際し、「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語っています。
結婚歴・離婚歴や逮捕騒動などを省みて、今後は穏やかな人生を冨田リカと共に歩むことを望んでいるようです。
萩原健一の結婚歴
1人目の結婚相手は
モデルの小泉一十三(こいずみひとみ)さんと1975年に結婚。
しかし3年で離婚してしまします。
二度めの結婚は、1980年にアイドル・女優のいしだあゆみさんと結婚されました。
1984年に離婚を発表しました。
3度目の結婚も離婚してしまっています。
そして4度目。
2011年にモデルの冨田リカさんと結婚されています。
富田リカプロフィール
プロフィール | |
---|---|
生年月日 | 1962年3月8日 |
現年齢 | 57歳 |
出身地 | 日本・神奈川県 |
血液型 | A型 |
瞳の色 | ブラウン |
毛髪の色 | 茶髪(地色は黒髪) |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 167 cm / ― kg |
活動 | |
デビュー | 2004年、月刊『STORY』 |
ジャンル | ファッション |
モデル内容 | 一般 |
備考 | 読者モデル |
洗足学園短期大学卒業後、幼稚園教諭を5年間勤め、広告業界の男性と結婚して一男をもうけたが離婚。
その後、幼児教室経営、OLなどを経て36歳のときに飲食店プロデューサーの男性と結婚。
2005年に東洋英和女学院大学に編入学し心理学を専攻、2008年に同大学を卒業。
その後、本名の冨田理加として幼児教室経営のグロースエンタープライズ取締役を2009年1月に役員を辞任しており、それ以降、経営には全く関与していない。
2010年8月18日に萩原健一との交際報道がでる。前夫と離婚。2011年2月6日式を挙げた[1]。
2010年8月17日発売の『美STORY』2010年10月号(光文社)でセミヌードを披露。
かつてOLとして働いていたこともあり、様々な仕事をしています。
現在はモデルとして活躍していて、その美貌などが注目されているそうです。
富田さんは現在は56歳になるのですが「GOLD」という雑誌でモデルを務めているのだとか。
なので、今も変わらずにモデルとして活動しているのですが、美魔女といわれ、幾つになってもルックスが変わらず、昔と変わらない美貌を維持しているのはさすがです。
富田リカの主な出演
テレビ[編集]
- スッキリ!!(日本テレビ) - コメンテーター
- ソロモン流(2006年5月28日、テレビ東京)
CM[編集]
- Bel Japon(kiri、Belcube、Babybel、The Laughing Cow)
- エスティーローダ(クリニーク)
- アクセソワ・ドウ・マドモワゼル
- マンダム(プロデュース)
- ヴァーナル
艶女再びRT世界文化社から青春時代をバブル期に送った女性向けに本日ライフスタイル誌「GOLD(ゴールド)」が創刊。創刊記念で代官山TSUTAYAでトークショー。三浦りさ子に続いて萩原(冨田)リカ登場。左は同誌の内山しのぶ編集長。 pic.twitter.com/58UyDfXabV
— こできち✈︎出張族復帰 (@kodekichi) 2013年10月7日
富田リカとの子供は?
富田リカさんは1度目の結婚の時に息子さんを出産しています。
萩原健一さんとは子供はできておらず、小泉一十三さんとの間に萩原健一さんは娘さんが1人います。
荻原健一さんとの馴れ初めは富田リカさんの方が萩原健一さんのファンだったようですね。
出会いのきっかけは女性誌の対談にがきっかけで交際に発展したようです。
まとめ
萩原健一さんと奥様の富田リカさんの今現在についてお届けしてきました。
萩原健一さんという1つの時代を築いた名俳優がお亡くなりになりとても悲しみの声が広がっています。
そんな中、萩原健一さんの奥様はどんな方なのか気になられた方もいらっしゃったと思います。
いかがでしたでしょうか。
ご存命中は色々問題をおこしていましたがインパクトのある役者さんで、とこぞうも傷だらけの天使は毎週見ていました。
ご冥福を祈ります。
とこぞうでした。
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